昨夜、アニメ「きみが死ぬまで恋をしたい」を13話、一気見しました。
見終わって最初に浮かんだのは、人間は悲しい生き物で、戦争を繰り返してしまうということでした。
けれど、単純に「悪い人がいるから争いが起きる」という話ではありません。人にはそれぞれの正義があり、信念があり、大切にしたい人がいる。だからこそ、その思い同士がぶつかり、対立してしまうことがあります。
誰にも悪意などないのに、そうなってしまう。
むしろ「あなたを守りたい」「心配をかけたくない」「自分が我慢すればいい」と相手を思いやるがゆえに、言葉が足りず、誤解やすれ違いが生まれることさえあります。
人は無力。それでも、あなたがいるから
一人の人間に戦争を止めることはできないかもしれません。大切な人の運命を変えることもできないかもしれません。
人は無力です。
それでも、あなたがいるから頑張れる。あなたがいるから笑い合える。
世界を変えることはできなくても、誰か一人の世界を少し変えることならできるのかもしれません。
「無職転生」を見たときに感じたこと
以前「無職転生」を見たとき、小川は「自分の人生を生きる責任まで他人に預けてしまうこと」に強い違和感を覚えました。
では今回の「あなたがいるから頑張れる」という思いとは矛盾するのでしょうか。
小川は違うと思います。
誰かに自分の人生を背負ってもらうことと、自分で生きようとしている人を誰かが支えることは違う。
脳内出血で倒れてから、小川自身、一人ではできないことが増えました。家族、医療、リハビリ、介護、福祉。多くの人の力を借りています。
しかし、自分の人生を生きることまで誰かに任せたつもりはありません。
「無職転生」を見て感じたことの詳細については、別途記事「『無職転生』を見て腹が立った朝――それだけでは、人は変わらない」をご一読下さい。
そして「絆ネット」へ
絆ネットが目指したいのも、困っている人の人生を代わりに生きることではありません。
その人がその人の人生を生き続けるために、足りないところを人と人とで補う。そんな仕組みを作りたいと思っています。
この作品では、大切なパートナーを失った少女たちも描かれます。そして物語の最後には、「一緒に夜ご飯を食べましょ。」という、とても日常的な言葉が残ります。
大切な人を失った悲しみを、他人が簡単に「分かる」と言うことはできません。その人の代わりになれる人もいません。
でも、一つだけ思ってほしいことがあります。
あなたに先立ったその人が、本当にあなたの大切な人だったのなら。
きっとその人にとっても、あなたは大切な人だったはずです。
だから、残されたあなたが今日どうしているのか。ご飯をちゃんと食べているのか。笑うことができているのか。きっと、あなたのことを思ってくれているのではないでしょうか。
忘れなくていい。無理に悲しみを乗り越えなくてもいい。
そして、一人で食べる夜ご飯が少し寂しい日があったなら、誰かが自然にこう声をかけられる社会であってほしい。
「一緒に夜ご飯を食べましょ。」
世界を救えなくてもいい。悲しみを消せなくてもいい。亡くなった人の代わりにならなくてもいい。
今夜、一緒にご飯を食べることならできる。
そんな小さなつながりを、一つ、また一つと増やしていく。それが小川の考える「絆ネット」です。
追伸
「一緒に夜ご飯を食べましょ。」とは言いましたが、小川はゲコなので、お酒のお付き合いはできません。
お茶なら喜んで。(^^)/


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